山田久枝前市議会議員の告別式
山田久枝さん告別式 葬儀委員長委員長挨拶 2009年6月9日
入院加療中の中野募議員に代りまして、私 板垣 恭彦が代りまして、ご挨拶申し上げます。
本日は皆様方、大変お忙しい中、告別式にご参列くださいまして誠に有難うございました。また過分なるご香典、ご供花、ご供物、弔辞弔電を戴きましてまことに有難うございました。久枝さんも大変感謝していることと思います。遺族に代わりまして厚く御礼申し上げます。
久枝さんはこの2年余り大変な病と敢然と闘ってまいりました。最初の異常は2年前、腕が上がらないとのことでした。「私も50肩かもしれない。」といっていましたが、その後腰の異常を訴え、一昨年11月勤医協札幌病院での精密検査の結果、癌が脊髄に転移していました。「板垣さん、私末期の癌なんだわ。」と言われたときには本当に驚きました。懸命の治療で、病状が回復し、一時退院後の昨年11月には北広島9条の会1周年記念の会などに車椅子姿で参加してくれました。しかしクールを繰り返した抗がん剤投与ができなくなり、一方で栄養点滴で、他の部位に広がったがん細胞が活気付き、ついに6月6日16時16分、永眠されたのであります。
久枝さんは、昭和23年11月24日。江別で 高嶋敏雄さん、一枝さん夫妻の次女 として生まれました。2人姉妹でしたが、早くにお父さんとお姉さんを亡くしました。江別高校から成徳学園秘書科に進学、卒業後は北日本マツダ自動車労働組合書記、札樽運輸株式会社などに勤務致しました。昭和46年に山田邦雄さんと結婚し、1男1女に恵まれました。
昭和48年に、北広島団地広葉町に住居を構え、今日に至っております。
正義心が強く、平和を愛する彼女は昭和44年(1969年に日本共産党員となり、北広島に住んでからは団地地域の専従党員、妻、母として、そしてお母さんと一緒に暮らし何足ものわらじを履きながら、昭和58年からは町議会議員、市議会議員として活躍いたしました。
6期24年間の町議会・市議会議員としての働きは本当にすばらしいもので、いつも住民の方々の目線で判断し、行動していました。議会でのその凛とした態度、姿勢につきましては、などはいつもわたしのお手本でした。
久枝さんは食通ですし、料理も大変好きな人でした。大阪の「あめおばさん」に似て、いつも飴やチョコレートなどをバッグに忍ばせていました。
また音楽が大変好きで、若い頃は労音のメンバーとして活動し、北広島音楽協会役員として、また芸術文化ホールボランティアとしても活動され、娘さんの陽子さんはそのお母さんの影響で、ピアニストとして今、ドイツで研鑽を積んでいます。
久枝さん、よく頑張りました。そして毎日看病をされた夫の邦雄さん、本当に良く頑張られました。こころからねぎらいの言葉を言わせて戴きます。
久枝さんへのご厚情を、これからも遺族に賜りますよう、お願い申し上げます。
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